2012年1月27日金曜日

「リテラシー」から考える教育支援

Literacy : the ability to read and write [Oxford Dictionary]

リテラシー、という言葉をご存知でしょうか。
「読み書きできる能力」を指し、「識字」と訳されています。
(ただ、今は言語のみにとどまらず「コンピューターリテラシー」「メディアリテラシー」といった、ある分野に関する知識を持ち、活用できる力という意味合いで使われることもあります。)

識字問題は、「途上国」の教育について真っ先に挙げられる課題です。「識字率」、つまり「読み書きできる人が人口に対してどれくらいいるのか」という指標は研究や調査ではとてもよく使われています。

さて、その識字率。ウガンダは、現在73%*1です約3割の人たちは読んだり書いたりすることができません。割合だけで考えると、関東地方(栃木、群馬、茨城、埼玉、千葉、神奈川、東京)のうち東京の人たちが全員読み書きできない、というイメージです(・・・伝わるでしょうか??)。

読み書きできないことの問題は、コミュニケーションの選択肢が狭まる以外に、「標識が読めない」「薬のラベルが読めない」といった生活に密着することも挙げられます。さらに、大人の読み書き問題は選挙権の行使、という政治的な課題にもつながります。実際、昨年7月に独立した南スーダンの住民投票には、賛成・反対それぞれのシンボルが作られ、そのどちらかに投票用紙を入れる、という方法がとられました*2。教育の問題が、日々の生活に複雑に絡まっていることは容易に想像できます。

これは途上国に限らず私たち自身も理解できることだと思います。たとえば英語を読んだり書いたりできなかったら、英語圏で生活することはかなり難しいでしょう。病気になったらきちんと病状を伝えられるかと考えると、簡単にできるとは思えません。。それで薬の飲み方を間違えてしまったら・・・なんて考えると不安です!

しかし、途上国では深刻です。自分たちの住む地域でこの状況が起きているのです。でもだからといって、「学校をつくればいい」「教科書を送ろう」といった教育課題への支援を最優先にすることだけで課題が全て解決するとは言えません。読み書きなんてできなくても生きていけるからいい、と思う人もいるかもしれません。でも、少なくとも、子どもでも大人でも教育を受ける機会が増えることで、生きるうえでの選択肢が増えることにつながっていくのではないかと思います。

選択することは人それぞれの自由です。でも、その選択肢が増え、自分で選べるという状況を作ること自体には意義があると思っています。教育支援するということは、単に「読み書きできたほうがいいから!」というのではなく、そこから広がる世界を共有する、という視点も含まれるのだと考えています。


yamazaki



*1 World Bank Database http://data.worldbank.org/country/uganda
*2 http://www.pko.go.jp/PKO_J/data/other/pdf/sudan2011/03.pdf

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